2018年7月13日金曜日

ゲームの魅力とは

ゲームといっても色々ありますが、テレビゲームの話です。
夢中になってゲームで遊んだことはないでしょうか。
寝食を忘れるくらいのめりこんでしまう人もいます。
人気のゲームの発売日には行列ができたりします。
ニンテンドースイッチが発売されたときもあまりの人気に入手が困難になっていたようです。
なぜゲームは面白いのか、人を惹きつけるのか、ゲームの魅力に迫ってみたいと思います。
ここでは一人で遊ぶゲームに限定し、協力プレイとか対人戦については考えません。
それらの面白さはテレビゲームの面白さとはちょっとずれていると思いますので。

あっさり結論を書いてしまいますと、
私が考えるゲームの面白さとは、手軽に成功体験ができるということです。
成功体験とは、困難を乗り越え、賞賛を得る事。
自画自賛でもOK。
私ってすごい!と思えればいいのです。
例えば、強敵を倒したり、パズルを解いたり、華麗にトラップを回避したり。
RPG(ロールプレイングゲーム)では、数々の試練を乗り越え魔王を倒し世界に平和をもたらしたりします。
勇者、ヒーロー、英雄、救世主と称えられます。
これは究極の成功体験ですね。
現実世界ではこんな体験はまずできません(笑)。
モンスターを倒して経験値をためて、レベルアップするというのも小さな成功体験です。
成長が目に見える形で示されるのです。
現実では地道で長い努力が必要なことが多くて、成長を実感することはあまりないでしょう。
目的を達成したときの演出も分かりやすく派手になっています。
ファンファーレが鳴ったり、花火が打ち上げられたり、拍手喝采を受けたり。
人は褒められれば嬉しいものです。

但し、何の苦労もしていないのに褒められても喜びは湧いてきません。
大したことをしていないのに、すごいすごいと持ち上げられてもバカにされているようにしか思えません。
自分が頑張って成果を出したという実感があってこそ満足感が得られるのです。
困難度が高いほど達成したときの喜びは大きいですが、あまりに難しい物だと挫折してしまいかねません
また、単調な作業が延々と続いたりすると嫌気がさしてきます。
難しすぎず簡単すぎず、飽きさせないようにバランスをうまくとる必要があります。
人間は贅沢な生き物なのです。
あくまでも手軽な成功体験がゲームの肝です。
実は大したことはしていなくても頑張った感じにさせればOKです。
頑張ったらほめてくれる。するとまた頑張る気になれる。
このようにプレイヤーのやる気を持続させるのがよいゲームです。

人には得手不得手がありますから、同じゲームでも簡単に思う人もいれば難しいと感じる人もいるでしょう。
適度な難易度で達成感が得られるものがその人にとっての面白いゲームです。
なるべく多くの人が面白いと感じるゲームがよいゲームということになるのでしょう。
一部の人にしか面白いと思えないけれど、面白い人にとっては非常に面白いというものはマニアックなゲームです。
多くの人に楽しんでもらえるように難易度の選択ができるゲームもあります。
選んだ難易度に応じて現れる敵の数が増減したり、敵から受けるダメージが変化したりします。
これならアクションが苦手な人でもアクションゲームが楽しめますね。
パズル系のゲームでもヒントを出す出さないの設定ができたりします。
プレイ状況にあわせて自動的に難易度が変化するゲームもあるようです。
何度もコンテニューをしていると回復アイテムがたくさんでてくるようになるとか、
適度に手応えのある戦いになるように敵の強さが自動的に調整されるとか。
難易度が変化しているということを悟らせないものはすごいですね。
コンピュータが本気を出したら人間が太刀打ちできるわけがないですよね。
プレイヤーが気持ちよく遊べるように手加減をしてくれているのです。
それを悟らせずに、いい勝負だったと思わせるのがいいゲーム。
ゲームを作るのに大事なのはおもてなしの心。
ゲームの本質は接待なのです!(笑)

ゲームに惹かれるのは、ゲームが人間の高次な欲求をかなえてくれるからなのです。
マズローの欲求5段階説というものがあります。
人間の欲求は5階層のピラミッドのように、
低次のものから、生理的欲求、安全欲求、社会的欲求、尊厳欲求、自己実現欲求
となっているというものです。
低い欲求が満たされると高次の欲求を求めるようになり、最終的に求めるのは自己実現欲求なのです。
一番低い生理的欲求は、食べ物、飲み物、睡眠など、生きるために必要なものを求める欲求。
これが満たされなければ死んでしまいます。
次に安全欲求。
衣食住の食は生理的欲求で、他の衣住は安全欲求ですね。
危険から身を守り、安全に暮らしたいという欲求です。
自分の身の安全が確保できると、他人と関わりたいという欲求がでてきます。
友達が欲しいとか、集団の一員となりたいという社会的欲求です。
次は、みんなに尊敬されたいとか認められたいという尊厳欲求です。
承認欲求ともいいます。
地位や肩書、名声などを求めるのがこれですね。
称号が得られるゲームもありますし、ある条件を満たすとトロフィーが獲得できるというシステムは一般的ですね。
最後に自己実現欲求。
自分の能力を引き出し創造的活動がしたいとか、自分らしく生きたいとかそういう欲求みたいです。
ゲームでは自分の潜在能力が覚醒するとか、誰もできなかったことを成し遂げるとか、
そういう展開が盛りだくさんですよね。
映画や書籍でもそういうストーリーはたくさんありますが、どうしても他人事になりがちです。
当事者だという意識を持たせるのは非常に難しいと思います。
ゲームではキャラを自分で操作し、自分の行動によってストーリーが進むので、
自分の体験だと思い込むことが容易であり、自分の欲求が満たされたと思い込みやすいのです。
現実では実現することが非常に難しい高次な欲求を簡単に満たしてくれる!
それがゲームなのです!

ゲームをゲームとして楽しむには攻略情報は見ない方がいいと思います。
有名なゲームですと攻略サイトも充実していて気軽に見れてしまうのですが、
攻略情報を見てしまうとどうしても作り物という意識が強くなって没入感がそがれます。
攻略情報の通りにプレイするのはただの作業だと私には思われます。
自分で考え自分で行動することによって達成感は大きくなるのです。

最近のゲームはムービーシーンが多すぎたりしてゲームとしての面白さが薄いものが多い気がします。
ムービーとかで自分のキャラが勝手に動いたりすると没入感がそがれて、
自分が主体だという感じが弱くなるのです。
仮にムービーが面白かったとしても、それはゲームとしての面白さではありません。
ゲーム機の性能が上がって、画像が綺麗でリアルになってもゲームとしての面白さにはつながりません。
逆に、データ量が多くなってロードに時間がかかったりすると、現実に引き戻されてしまいます。
ゲームはいかに自分が主体だと思わせるか、その世界に没入させるかが大事なのです。
VR技術には期待しています。
VRといえば、PSVRも入手が困難だったようです。
私も興味はあったのですが、全然入手できる見込みがなく、やりたいソフトも特にありませんでした。
現在は普通に買えるみたいですが、購入意欲はほとんどなくなってしまいました。
VRゼルダでも出してほしいところですね。
今後も続々と面白いゲームが発売されることを祈ります。

あっ。最後にちょっと注意です。
ゲームで尊厳欲求や自己実現欲求が満たされるといっても所詮錯覚にすぎません。
現実世界で何もしないでゲームばっかりしていたら駄目人間です(笑)。
ゲームは息抜き程度にしましょう。

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