2019年3月31日日曜日

叙述トリックは嫌いです

私は小説において作者は裏方であり、その存在を感じさせてはいけないと思っています。
それなのに、作者がちょくちょく顔を出すものがありますね。
歴史小説に多いです。
○○については諸説あるが、私は○○だと思うとか、
この史料によると○○は○○であるとか。
正確を期したいのか調べたことをひけらかしたいのか分かりませんが、
そういうことをやりたいのなら論文を書けばいいのです。
もしくはあとがきに書くとか。

せっかく物語を楽しんでいたのに作者がでしゃばってくると現実に引き戻されてしまいます。
登場人物のセリフとか心理描写とかは勝手な想像で書いているくせに、
そんなところにこだわってもあまり意味がないと思います。
小説は現実とは異なる別世界であり、小説内の世界はそれだけで完結しているのが望ましいのです。
そういえば、酒井賢一「泣き虫弱虫 諸葛孔明」という本がありました。
これは作者が出ずっぱりですが、面白い小説でした。
あそこまでやれば一種の芸として楽しめますが、
中途半端に作者が出てくるのは未練がましくて嫌いです。


ミステリーにおいては読者への挑戦状というものがあります。

推理に必要な手がかりはすべて揃った。
犯人は一体誰なのか指摘してくれたまえ。

というようなやつです。
これをやられるとクイズになってしまうんですね。
それまでの物語は作り物なんですよと宣言されたようなものです。
小説の世界に入り込んでいたのが、外部に引っ張り出されるのです。



実質挑戦状であっても作者が顔を出さないものもあります。

探偵「犯人が分かったぞ」
助手「一体誰が犯人なんだ!」
探偵「君にも分かるはずさ。僕と同じことを見聞きしてきたんだからね」

という具合に、登場人物のセリフによって手がかりが揃ったことを伝えます。
こういう形であれば、読者=助手という形で小説の世界に入ったままでいられるのです。

あらかさまに作者が登場しなくても、作者の存在を感じるものはあります。
現在と過去の場面が交互に語られ、作者が提示する情報をコントロールしていることが明らかなものとか、
場面転換が頻繁にありすぎて全然話に入り込めないものとか。
伏字とか不自然な仮名が使われている(**大学とかV県とか)のも無粋です。


叙述トリックも作者の存在を感じさせるので好きではありません。
叙述トリックとは、誤解を誘う文章で登場人物と読者の認識に差異を生み出すトリックです。
例えば自分のことを「俺」と呼ぶ女性を登場させ、性別は明記しないようにします。
登場人物はその人が女性だと分かっていますが、読者は男性だと思い込みがちです。
年齢や人数、場所や時間を誤認させるものもあります。
若者が主人公の青春小説かと思ったら、主人公は老人でしたとか、
人間ではなく猿でしたなんてものもありました。
物語を正しく鑑賞させないのです。
作中作などで作中の人物が作中の人物に対して仕掛けるのなら問題ありませんが、
作者が読者に対して仕掛けるものは、作中の人物や物語には全く関係がない、
ただただ読者を騙すだけのものです。
これは物語というよりいじわるクイズです。
何ページの何行目にこういう記述があるとか、得意げに仕掛けを披露しているものもあって
うんざりしてしまいます。
叙述トリックを使っている面白い小説もありますが、ほとんどは意味がない作者の自己満足だと感じられます。
書きたくなる気持ちは分からないではないです。
パズルを作る楽しさに通じるものがあると思います。
ですが、小説でやっては駄目でしょう。
読者に迷惑です。少なくとも私は迷惑だと思っています。

この叙述トリック、たちが悪いことに読まないと有無が分からないんですね。
最初から明かされているものもあることはあります。
例えば、似鳥鶏「叙述トリック短編集」。
叙述トリックが使われていると知っていれば大体分かります。
ですが、トリックを警戒しながら読むのは面倒で疲れます。
何より、小説として楽しむことができません。

こういう本は例外的なもので、
普通は叙述トリックが使われていることは事前には分かりません。
ネタバレになってしまうので、存在が隠されているのです!
ですので、面白いものを紹介しようとしてもできませんし、
叙述トリックを避けようと思ってもなかなか避けられません。
普通の小説を読んでいるときにも、これはもしかして叙述トリックじゃないかと
無駄に疑うようになったりします。
女性っぽい名前だけど実は男なんじゃないかとか思って、
地の文で女性であることがはっきりするまで安心できなかったり。
普通の小説を普通に楽しむことが難しくなってしまうのです。
有害でありながら避けることの難しい厄介な存在。
それが叙述トリック!
とりあえず、書籍検索で「叙述トリックを含むものを除く」機能を実装してほしいですね。

私は以上の文章をブログに投稿した。
今日は両親は出かけていて、家にいるのは私と妹だけである。
夕食は妹が作ってくれることになっている。
さて。夕食まで何をしよう?
うん。先輩に会いに行こう!

加奈子「先輩、こんにちは!」
浩介「加奈子じゃないか。こんなところで会うとは偶然だな」
加奈子「そうですね!」

私は好感度を上げるために頑張った。

・・・・・・

そして今、私は先輩の家で先輩と二人っきり。
これはもう勝負に出るしかないでしょう!
よし!と気合を入れた瞬間、
私は後ろから首を絞められた。
なんで!?
首を絞める手を振りほどこうとするけれど、びくともしない。
苦しい。
身体から力が抜けていき、意識も薄れていく。
私は最後の力を振り絞って先輩の方に目を向ける。
先輩は優しく微笑んでいる。
・・・先輩・・・


読者への挑戦状
加奈子は何者かに首を絞められて殺された。
犯人は一体誰なのか指摘してくれたまえ。
推理に必要な手がかりはすべて揃っている。

解決編
犯人は加奈子の妹。
加奈子は自宅でゲームをしていた。
先輩はゲームの登場人物。
主人公の名前は「加奈子」と設定していた。
加奈子は夕食の時間になってもゲームに夢中になっていて、
呼びに来た妹が何度話しかけても気付かなかった。
頭にきた妹が首を絞めたのである。

先輩が現実の存在であれば不自然な点が色々あります。
先輩は「こんなところで会うとは偶然だな」と言っています。
加奈子は連絡もとらずにいきなり会いに行ってすんなり会えています。
ゲームだからすんなり会えるのです。
加奈子が殺害されたときは「先輩の家で先輩と二人っきり」だったはずです。
突然第三者が湧いてくるのはおかしいですね。
これもゲーム内の設定がそうなっていたというだけのこと。
最後に加奈子が先輩を見たとき「先輩は優しく微笑んでいる」のみ。
目の前で人が殺されようとしているときにこの反応はないでしょう。
唯一考えられる可能性は先輩も共犯だった場合です。
しかし、先輩と加奈子は偶然会ったのですから、
その日に加奈子が先輩に家に行くことは予想できません。
事前に打ち合わせもなく協力して殺人などできるわけがありません。
先輩は現実の存在ではありえないのです。
「先輩の方に目を向ける」という描写がありますから、
先輩は絵、映像、彫刻といった目に見える姿です。
会話をしていますので映画かゲーム。
映画では「好感度を上げるために頑張った」「よし!と気合を入れた」は不自然です。
ゲームだとしっくりきますね。
好感度を上げて異性といちゃいちゃするゲームでしょう。
話しかけられても気付かないほど夢中になっても仕方ありません。
諸悪の根源はゲームかもしれません(笑)。

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